ココロルルル・心と身体の声

より楽に自分らしい人生のために・・心と身体を感じ、そして自分を大切に。

心ってどこにあるんだろう?・・・

心ってなに?体のどこにあるの?

って、子供が小さい時に聞いた。

 

そうだね・・・

どこにあるんだろうね?・・・

たぶん、胸の真ん中にあるんだよ。見えないけどね。

と、答えた。

 

体の図鑑にだってのってない心。

 

 

脳神経科学が発達していなかった古代ギリシャ時代、心がどこにあるのか?という

問いに哲学者たちは必死だったよう。

 

”自分を知ることは、すべての知恵の始まりである”

”我々の性格は、我々の行動の結果なり”

など多くの名言を残した古代ギリシャの哲学者アリストテレスによると、

心臓は心の座である。と言っている。

 

 

”生命は短く、学術は永い。好機は過ぎ去りやすく。決断は困難である”

”睡眠も不眠も度を越せばともに悪いしるしである”

と残した医学の父ヒポクラテスは、心は脳にあると考えたよう。

 

この心はどこだ?の場所探しという問いかけがおかしいと言ってきたのが、ギルバート・ライルというイギリスの哲学者。

彼曰く、心とはソフトウェアのようなもので物理的には存在しない。

 

んー確かに、心って見えないし。

 

でも、心がキュンとする。とか心がドキドキする。とか心が痛む。とか、

現代では心が折れる。

って表現できるから、心ってやっぱり胸にある?・・・

 

英語で心を指す単語は”heart"と”mind"と2つある。

heartという時、感情や人情を指し、mindは知性や知恵を意味する。

 

日本語ではこの2つを合わせて”心”とよんでいることがおおい。

 

心は脳だと言ったヒポクラテス・・

確かに、感情を作り出しているのは脳だけれど、心の存在を脳には感じれない。

 

21世紀現在も、心がどこにあるのかは解明していない。

どこにあるのか以外に、どんなかたちなのか?何色なのか?・・・

 

見えないし、触れることはできないけど、心の存在を感じることはできる。

 

 

心は脳が生み出す現象。

 

心はその個人個人のアイデンティティーを表すものとした時、例えば脳を誰かと取り替えっこしたらどうなるだろう?

現代医学では、脳の移植や人工脳に置き換えることはできないけど・・・

 

じゃあ、

人工の心臓を移植したら?その人に存在していた心はなくなってしまう?

なくならないはず。

 

うつ病やアルツハイマーなど脳の病気。

脳が損傷、機能が低下することによる起こるこれらの脳の病気は心を変えてしまう。

 

アルツハイマーは大脳皮質の神経細胞が失われることによって、人格が変わってしまう。

 

やはり心は脳が生み出す現象で脳の内的現象。

 

 

心ってどこ?

と子供の単純な問いに、はるか大昔から現在までいまだに解明できないし、、、また解明されることがあるのだろうか・・・

 

 

どこにあるのかわからない心だけど、心と身体の繋がりを感じることはできる!

 

身体の調子がいい時は、心も軽いし楽。

身体がだるい時に、心がルンルンしないはず・・

その逆に、心が落ち着いてる時は身体も楽。

心が参ってる時は、身体も参ってる、固まってる。

 

マインドフルネスや瞑想などで、頭の中を空っぽにできた時、心の解放感や広がり感を感じることができる。

脳と心と身体は繋がってる。

 

 

心の場所はどこかはわからなく、うまく説明をできなかったけど、心の存在を感じることができる大切さを子供につけたし説明した。

なんとかわかってくれたようだった、見えないけど感じれること。

 

 

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